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BSSにハッピーエンドは必要?

【前置き】
この記事を読む前に、こちらの記事をよんでNTRとBSSについての定義を理解してほしい。ここでは定義1で話を進めている


【本題】
以前の記事で「NTRにはハッピーエンドが必要」と書いた

寝取られ漫画の描き方

ところがBSSの名作と名高いbbsacon先生の「スマイル」はハッピーエンドではない

コミックメガストア:2012年9月号│コアマガジンWeb

ハッピーエンドでは無いにもかかわらず、名作扱いされているのはなぜだろうか

結論から言えば「BSSにハッピーエンドは不要」が答えなのだが、
これは「BSSはNTRの一部」という定義の上では明らかに矛盾した答えになる
そこでここではその矛盾を解消するために
「なぜハッピーエンドが必要なのか」
「そもそもハッピーエンドとは何か」
「ハッピーエンドが不要なパターンは何か」
を詳細に解説したい。


【解説】
まず、以前の記事で「NTRにハッピーエンドが必要」と力説したときに、まだBSSという概念はそこまで定着していなかった。
そして世の中にあるNTRのほとんどは「妻や彼女を寝取られるシチュエーション」がほとんどであった
つまり「明確な不貞行為」というものがそこにはあった

NTRの代表的なストーリーは
・主人公は善良
・間男はクズ男
・主人公はクズ男に大切な人を奪われる
という構図がほとんどであった

たいていのストーリーでは、主人公は善良な人間で、クズ男の悪知恵によってヒロイン(妻・彼女)を奪われるストーリーが多かった
ヒロインを奪われることに対して、主人公に非はないケースがほとんどであった

このようなストーリーにおいては
我々が義務教育時代に学校で学んできたであろう「勧善懲悪」の価値観が強く働く
結果、読者は「不貞行為を犯した間男には制裁を、主人公には救いを」という思いを潜在的に秘めてしまう
「NTRにハッピーエンドが必要」と力説するのは「ここで勧善懲悪を無視すると、読者はストレスを発散できずイライライしたままストーリーを読み終えてしまう」からである

例えば時代劇を思い出してほしい
時代劇は必ず最初に悪代官が登場し、権力にものを言わせて悪行の限りを尽くす
ストーリーに感情移入した視聴者は「悪代官が滅びる姿を見たい」という願望を持つ
そして主人公が登場し、悪代官をバッサリと切り捨てる
これを見て視聴者はスッキリして、時代劇は幕を閉じる

もし悪代官を切り捨てず、悪代官に何の天罰もくだらなければ、その時代劇は多くの反感を買うだろう
これと同じで、NTRストーリーも不貞行為、卑劣な行為を働いた間男に対して天罰を必要とする

今となっては表現が不適切だったと言わざるを得ないのだが
「NTRにはハッピーエンドが必要」というのはかなり雑な説明で
厳密に説明すると「NTRで行われた悪行には、必ず天罰を下さなければ、悪代官を裁かない時代劇のような後味の悪さを残すストーリーになってしまうので、必ず勧善懲悪に沿った結末にすること」ということである

つまりこれは「主人公の下にヒロインが戻ってくるタイプの恋愛的なハッピーエンド」に言及していない
あくまで「悪いことをした間男には天罰を下しましょう。そしてひどい目にあった主人公には少しぐらい救済があってもいいよね」という意味でのハッピーエンドなのだ

もちろん、この勧善懲悪の考え方すら不要と主張するものもいるだろう
例えば、我々は義務教育の中で勧善懲悪の大切さをいやというほど教育されてきたが
現実世界では「悪知恵の働くものほど得をする。正直者ほど損をする」といったことが起こりえる
実際にそのような生き方をしている人からすれば、NTRの間男の行動は「現実に即した考え方で合理的」と思えるだろう。
そのようなタイプの人間には勧善懲悪型のストーリーはやや「現実感のない理想論」に思えるかもしれない
勧善懲悪型のストーリーでなくても「現実ってそんなものよね」と納得してしまうかもしれない。

結局はここはだれに向けてストーリーを描くかになってくるが
商業的な成功を望む場合は、やはり「大多数の読者の価値観」に沿って書くのが正解であり
そして大多数の人はやはり勧善懲悪を望んでいるのが現実である

さて、ここまで書いてしまえば、あと説明すべきは「ハッピーエンドが不要なパターンは何か」という話になるのだが
BSSがNTRの中でも特殊なのは「寝取られるヒロインが妻や彼女ではない」ということである

ここで3つのBSS名作における間男を思い出してほしい
bbsacon先生の「スマイル」における権堂
桂あいり先生の「カラミざかり」における貴史
世徒ゆうき先生の「千歳」における隆之

誰一人として不貞行為を働いていないのである

つまり「ハッピーエンド(勧善懲悪)」という価値観を持ってこようとしても
そもそも誰一人として悪いことをしていない
ただ、自分よりも先にヒロインと深い仲になった
それだけである

このようなストーリーでは「NTRで行われた悪行には、必ず天罰を下さなければ、悪代官を裁かない時代劇のような後味の悪さを残すストーリーになってしまうので、必ず勧善懲悪に沿った結末にすること」という流れが作れない
そもそも悪が不在だからだ

よって「BSSにハッピーエンド(勧善懲悪)は不要」ということになる

そしてここまで書いて思ったのは
当時「NTRにはハッピーエンドが必要」と書くのではなく
「NTRには勧善懲悪が必要」と書けばよかったなと
今更になって後悔している

しかし、この「ハッピーエンド:という言葉を「勧善懲悪というハッピーエンド」と定義を明確にできたのは
桂あいり先生や、世徒ゆうき先生がBSSというジャンルを確立する作品を生み出してくださったおかげだったりします
NTRとBSSを細かく比較する環境を作り上げてくださったからこそ気付けた結論でした

この場を借りてお礼申し上げます

コメント

No title

博士の言う通りなら、NTRは勧悪懲善という、勧善懲悪の真逆を暗に示してると思うのです。
博士の言う勧善懲悪を刷り込まれすぎてる人が、NTRにハマってると言うのは私の見解です。
SMと似ていて、真面目すぎる人、堅い職業の人ほどハマり易いそうです。
無理に真面目に成りすぎてて苦しん出る人、職業柄演じなければらない人が、本来の自分に戻す時に、蔑みや、痛みを肉体、精神共に与えられる事で、ニュートラルな自分に戻れる。
ブラック企業とかが蔓延するのは、真面目過ぎる日本人の負の側面でもあります。
NTRもそれと似ていて、理想の妻、彼女が最も真逆の行為をする、される事で、自分の中の理想が崩れて、丁度いい自分になる。
仏教で言う所の、欲望をカットする行為と似ています。
BSSが流行るのは、これまでのNTRが荒唐無稽な設定であると言うのが暴かれ出した事により、リアリティが弱くなって来てると言うのが原因だと思います。
博士が言うように、免罪符的な理由を得たいも有るでしょうが、それ以上に、博士がこれまでのNTRの矛盾の様なものを暴いた事によるものだと思います。
ある意味NTRが定着したが故の現象であると思われます。

博士の言われるNTRには勧善懲悪が必要というものですが、NTR作品にそれが働いた作品をあまり知りません。
そして現在、NTRは成人向け漫画としては大きなジャンルとなっています。
多くの読者に向けて勧善懲悪をとありますが、それを読む側もNTRと理解しているので勧善懲悪を求めるものでしょうか…
NTRの良さとは不貞行為が行われていることによる興奮剤の爆発とその後味の悪さにあると思っています。
ただ後味が悪いだけではなく、その後味の悪さを納得させる途中や最後の描き方が重要だと考えています。
僕のなかで最高のNTR作品は猿駕アキ先生のFORK IN THE ROADです。
この作品、間男はのうのうと生きていますし主人公も救われたとは言いづらい最後です。
ですが、作中の彼女との関係性や主人公の心情を見ると終わり方がおかしいとは思いません。
お話として後味の悪さに魅せられました。
僕はこれが最高峰と思っていますが、知らない作品はまだまだあります。
そこで博士の言われる勧善懲悪が働くNTR作品というのも気になります。良ければそういった作品をご紹介しては貰えないでしょうか?
また博士が最高レベルと思う作品も合わせて記事などにして教えて頂けると嬉しいです。

No title

英語でごめんなさい!
I don't need a happy ending for poetic justice.
I prefer happy endings because that's how I can reconcile empathizing with the protagonist with wanting to see his love interest have sex with someone else.
I really dislike ntr where he gets humiliated.

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